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大河ドラマ「青天を衝け」吉沢亮さん主演。第21話”篤太夫、遠き道へ”と第22話”篤太夫、パリへ”のあらすじ。 [ドラマ]






大河ドラマ 2021


大河ドラマ「青天を衝け」


主演は吉沢亮さん。
仁なる者に敵は無し。




官尊民卑の世は、承服できん!
百姓からの脱却を決意。

天保11年(1840)、武蔵国・血洗島村。
藍玉づくりと養蚕を営む百姓の家に、栄一は生まれた。
おしゃべりで物おじしないやんちゃ坊主は、
父・市郎右衛門(小林薫)の背中に学び、
商売のおもしろさに目覚めていく。
ある日、事件が起きた。
御用金を取り立てる代官には向かったことで、
理不尽に罵倒されたのだ。
栄一は官尊民卑がはびこる身分制度に怒りを覚え、決意する。
「虐げられる百姓のままでは終われない。武士になる!」





第1話の視聴率は20.0%でした。
第2話は16.9%
第3話は16.7%
第4話は15.5%
第5話は16.2%
第6話は15.5%
第7話は14.7%
第8話は15.3%
第9話は14.5%
第10話は13.9%
第11話は14.1%
第12話は13.4%
第13話は13.9%
第14話は15.5%
第15話は15.3%
第16話は14.6%
第17話は14.2%
第18話は14.2%
第19話は13.6%
第20話は14.6%
第21話は16.5%




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第21話”篤太夫、遠き道へ”
のあらすじはNHK公式サイトから。
東京都議会議員選挙開票速報のため
15分遅れて8時15分から始まりました。
今話の大筋。
篤太夫は昭武の随行でパリへ!
将軍となった慶喜は篤太夫に弟・明武の未来を託す。
そして小栗から知らされる幕府の密命。
旅立ちの前、篤太夫は偶然にも、成一郎と再会する。




徳川宗家を相続することになった慶喜。
市之進から呼び出された篤太夫。
篤太夫にパリ万博に参加する慶喜の弟・民部公子・
昭武(板垣李光人)の
随行でフランス行きを打診され、その場で快諾する。
公儀との間を取り持つのに渋沢が適任だと上様(慶喜)が
一行の一員としてパりにという話に
某をパリに行かせてくださいと篤太夫は即答する。


仏行御入用帳を大目付の永井尚志から渡される篤太夫。
異国に出る際には公儀から旅費を前貸しする。
帰国したらそれぞれ何にいくら使用したかを報告し
そなたが勘定を仕上げなければならぬと。
外国方から通詞を同行させるので差し支えない。
見立て養子はどうする?(篤太夫の後継ぎのこと)
国を出る時にはその者の家を断絶させぬため
先に後継ぎを定めることと決まっておる。
家の者や友にはもう報せたのか?
無二の友に話して後のことを決めたいのですが…
今ちょうど江戸に御用にいっております。

その頃、御用を終えた成一郎は故郷の血洗島で
惇忠や弟の平九郎に今の上様の考えを話していた。
一橋さまのお考えに異論なしだと答える惇忠。
よしが千代を連れてやてくる。
千代は栄一のことを聞くが…。


孝明天皇は病(天然痘)に伏せる。
この数日後、天皇は崩御された。


ここからが朝廷と一丸となり公儀を盛り上げる好機だったのに
天皇が崩御され祐宮様が践祚なされることになり…
践祚=天皇の位に就くこと)
祐宮様の後ろについているのは先の帝に追い出された公儀に
歯向かう公家ばかり。

隠居の身となっていた岩倉具視は孝明天皇が崩御したことを知り
自分がそろそろ表に出て行かなければという。
わしが幼帝をお守りし、今度こそ帝の世を
王政復古を果たすと。



慶応3年1867年。
二条城。
西洋の服を着た慶喜に呼ばれ篤太夫。
驚く篤太夫にフランスの皇帝第3代ナポレオンが
私にと下さったものだ。
昭武に篤太夫を紹介する慶喜。
パリの博覧会に出ることで日の本もようやく
世界の表舞台に立つこととなる。
その門出を前にそなたに5つの心得を話したいと明武に。
一つ、会が終わった後は条約を結んでおる
エゲレス、オランダ、プロシア、ベルギー、イタリー、スイス
の各国を訪れその地の王に挨拶すること。
二つ、それが終わればフランスにて学問を修めること。
3年から5年。まだ足りぬ時は更に長く学んでも一向に構わぬ。
三つ、学んでいる間は師を必ず重んじよ。
四つ、もしも日の本に常ならぬ事変が起きたと
風聞を耳にすることがあっても決してみだりに動かぬこと。
そして、五つ、この度の渡欧の一行は一和に
円満に努めること。

昭武に継がせて徳川を称させることしたと
篤太夫と二人だけになった慶喜は話し始める。
昭武が一人前になって戻るまで私が公儀を潰さずにおられるかどうかだ。
しかし、こうなった以上、私もやすやすと潰されるわけにはまいらぬ。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
「急ぐべからず…」慶喜が続きを
「不自由を常と思えば不足なし…心に望みおこらば、
困窮したる時を思い出すべし」
「堪忍は無事長久のもとい」
「怒りは敵と思え」
(慶喜と篤太夫)[勝事ばかり知りて負くることを知らざれば、害その身にいたる」
「己を責めて人を責むるな」
「及ばざるは過ぎたるよりまされり」
人の一生とはなんと摩訶不思議なことでございましょう。
上様と大権現様のご遺訓を唱えることが叶うとは…と篤太夫。
渋沢、遠き道、苦も多くあろうが弟を頼んだぞと慶喜。
必ず、民部公子をお支えいたします。
このシーンは良かったですね。

篤太夫は平岡が自分を見つけてくれ、
一橋家の家臣に、そして今は上様となられて慶喜に頼まれパリへ。
これは僥倖。
篤太夫はなんと幸運なことだと思うのだ。




翌日、昭武の一行は京を出発し船で横浜に到着した。
神奈川奉行所ではフランス公使のレオン・ロッシュらが昭武に挨拶に。
外国奉行支配の杉浦愛蔵(志尊淳)が篤太夫に声をかけてくる。
奥詰医師は高松凌雲(細川善彦)。
杉浦がパリへ同行する者たちを紹介する。

勘定奉行の小栗忠順(武田真治)と
対面した篤太夫は、このフランス行きに秘められた
重要な目的を知らされる。
6年前にイギリスへ行った時、造船所には驚かされたと小栗。
ネジを篤太夫に見せる。
我が国は勝てぬと思った。しかし
心意気だけは負けるわけにはいかぬ。
今すぐにでもあのような造船所を造らねばと思ったと
熱く語る小栗。
造船所ができたところでその時分、公儀が
どうなっておるか分からぬ。
いつか公儀がしたことが日本の役に立ち
徳川のおかげで助かったと言われるならそれもお家の名誉となろう。
お主なら嫌いな異国からでも
多くのことを学べようと小栗。
無事に戻ればともに励もうぞ。


旅立ちの前、成一郎に会いに来たが一足違いで…
長七郎に会おうと小石川代官所にやってきた篤太夫は
偶然、成一郎と会う。
その前に長七郎の顔を見ておきたいと。
二人は牢に囚われている長七郎と久々に対面するが…。
いつか出られると励ます成一郎と篤太夫。
生きてるまま死んでるみたいだと長七郎。



千代から返事がないと成一郎に話す篤太夫。
平九郎を見立て養子にしようと思っていると成一郎に話す。
おめえが戻る頃には日の本はどうなってるんだろう。
今よりきっとより良い世になっていると願いたい。
俺たちが良い世にしていくんだと成一郎。


慶応3年1月11日横浜港から
フランス郵船アルフェ―号出発。



徳川家康の登場は話の最後に。
さあいよいよ慶応3年だ。
慶喜は征夷大将軍となり篤太夫は日本を飛び出しました。
篤太夫はその一家がそして我が徳川の世はどうなるのか
この先もしかと見届けていただきたい。




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第22話”篤太夫、パリへ”
のあらすじ。
舞台はパリへ。




パリに到着した篤太夫たちは、さっそく
万国博覧会の会場を視察。
蒸気機関やエレベーター…最先端の西洋技術を
目の前にして度肝を抜かれる。
しかし、日本の展示ブースに行くと、そこには
薩摩の紋が高々と揚げられていた。



幕府使節団は薩摩に抗議するが、モンブランと
五代(ディーン・フジオカ)が裏で手を引き、
幕府と薩摩は同格の政府であると風聞が流れる…
そんな中、昭武(板垣李光人)はナポレオン三世の謁見式に出席し、
堂々と慶喜の名代としての役目を果たす。



その頃日本では、慶喜が次々を幕政改革を打ち出していた。







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