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2022年のNHK大河ドラマ(第61作)は「鎌倉殿の13人」主演は小栗旬さん。10月9日は応援感謝!ウラ話トークSP~そしてクライマックスへ。第39話”穏やかな一日”(10月16日放送)のあらすじ。 [ドラマ]







大河ドラマ 鎌倉殿の13人

2022年のNHK大河ドラマ(第61作)は
「鎌倉殿の13人」


主演は小栗旬さん。
脚本は三谷幸喜さん。
大河ドラマの脚本は「新選組!」(2004年)「真田丸」(2016年)と3作目。
語りは長澤まさみさん。

華やかな源平合戦、その後の鎌倉幕府誕生を背景に
権力の座を巡る男たち女たちの駆け引き…
源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男・二代執権・北条義時。
野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。
新都鎌倉を舞台に繰り広げられる、パワーゲーム。
義時は、どんなカードを切っていくのか…
三谷幸喜さんが贈る予測不能エンターテインメント!
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。
だが、流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、
運命の歯車は回り始める。
1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。
北条一門はこの無謀な大博打に乗った。
頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、
遂には平家一門を打ち破る。
幕府を開き将軍となった頼朝。
だがその絶頂の時、彼は謎の死を遂げた。
偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。
”飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。
将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿げ替えられていく。
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵と取る。
源氏の正統が途絶えた時、北条氏は幕府の頂点にいた。
都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。
武家政権の命運を賭け、義時は最後決戦に挑んだ…。

第1話の視聴率は17.3%
第2話は14.7%
第3話は16.2%
第4話は15.4%
第5話は13.4%
第6話は13.7%
第7話は14.4%
第8話は13.7%
第9話は14.0%
第10話は13.6%
第11話は13.5%
第12話は13.1%
第13話は12.9%
第14話は12.1%
第15話は12.9%
第16話は12.9%
第17話は12.5%
第18話は12.7%
第19話は13.2%
第20話は12.8%
第21話は13.2%
第22話は12.9%
第23話は13.3%
第24話は12.0%
第25話は12.2%
第26話は12.9%
第27話は11.7%
第28話は12.9%
第29話は11.9%
第30話は11.4%
第31話は12.1%
第32話は11.8%
第33話は10.2%
第34話は11.9%
第35話は11.2%
第36話は12.4%
第37話は12.6%
第38話は11.7%
第39話は?



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10月9日は応援感謝!
ウラ話トークSP~そしてクライマックスへ。


予測不能の展開が続く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
最終盤のクライマックスを前に視聴者の皆さまからの
応援に感謝を込め、ウラ話たっぷりのトークスペシャル番組を放送。



北条義時は父・時政を乗り越え鎌倉幕府の二代執権に就任し、
姉・政子とともに政治の実権を握る。
物語は日本中世史の大きな謎”三代将軍・源実朝の死”、
そして江戸まで続く武家政権樹立を決定づけた義時と
朝廷との戦い"承久の乱”を描く最終章に入る。



10月9日の大河ドラマ放送時間帝は、
小栗旬さん、小池栄子さん、坂口健太郎さんらゲストを迎え、
ウラ話満載のトークでドラマを振り返ると共に
今後の見どころを紹介する。

ゲストは脚本家の三谷幸喜さん。
メッセージは上総広常を演じた佐藤浩市さん。
源義経を演じた菅田将暉さん。

体調不良で撮影に来れなかった大泉洋さんの代役を務めたのは小栗旬さんでした。
頼朝が比企の娘・比奈(堀田真由)のもとへ夜こっそり忍んでいくというシーン。
歩く後ろ姿はまるで大泉洋さん。

渾身の最終回を本にした三谷幸喜さん。
それを読んだ小池栄子さんと小栗旬さんが
ほぼ同時に最後すごいです! というメールが来て
嬉しかったという三谷幸喜さん。
どんな最終回なのだろう。
楽しみにしています。

MCはテレビプロデューサーの佐久間亘行さん。
進行はNHKアナウンサーの杉浦友紀さん。




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第39話”穏やかな一日”のあらすじ。

いまだ源実朝と千世との間に世継ぎの誕生がなく、
気にかける政子と美衣。
義時は、御家人たちが謀反を起こさぬように
政の仕組みを改める。
しかし、傲慢なやり方に三浦義村、
和田義盛らが不満を募らせていた。
一方、泰時は慣れない和歌に悪戦苦闘し、
源仲章に相談を持ち掛ける。


そんな中、成長した公暁(寛一郎)が…。




解説。
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証は木下竜馬さん。


源実朝と和歌。
建仁3年(1203)9月に鎌倉殿・征夷大将軍となった源実朝。
「吾妻鏡」によると、実朝は元久2年(1205)4月12日に
十二首の和歌を詠み、同年9月2日には後鳥羽上皇の
親撰ともいえる「新古今和歌集」を京から取り寄せた時されている。


古代・中世の人々にとって、政治と文化は
切り離すことのできない関係でした。
後鳥羽上皇の第3皇子である順徳天皇が著した
故実書「禁秘抄」には、天皇が収めるべき芸能・教養として、
第一に学問(漢籍による政道追及)、第二に音楽、
第三に和歌と挙げられている。
当時は楽器を奏でる音と和歌を詠み上げる声により
神仏と交感することで、天下泰平・国土安穏を
実現することができると考えられていたため、
為政者である貴族たちは音楽と和歌の習得に励んでいた。
実朝が和歌を詠み始めたのは、朝廷と渡り合わなければならない
幕府のトップ・鎌倉殿として、必要不可欠なことでした。

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