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NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」第9話”さらばシベリア鉄道”のあらすじと感想。第10話”真夏の夜の夢”のあらすじ。 [ドラマ]







いだてん nhk大河ドラマ




NHK大河ドラマは
「いだてん~東京オリムピック噺」



”日本で初めてオリンピックに参加した男”金栗四三(中村勘九郎)と
”日本にオリンピックを招致した男”田畑政治(阿部サダヲ)。
この2人がいなければ日本のオリンピックはなかった。
日本が初めて参加し、大惨敗を喫した1912年「ストックホルム」。



幻となった1940年「東京」と敗戦、復興、
そして…平和への祈り。
1964年東京オリンピックが実現するまでの
日本人の”泣き笑い”が刻まれた激動の半世紀を、
豪華キャストで描きます!
このドラマを見れば、2020年・
東京オリンピックの見方が変わります!

脚本は宮藤官九郎さん。
NHKでの執筆は連続テレビ小説
(朝ドラ)「あまちゃん」以来となる。



第1話の視聴率は15.5%。
第2話は12.0%。
第3話は13.2%。
第4話は11.6%
第5話は10.2%。
第6話は9.9%。
第7話は9.5%。
第8話は9.3%。
第9話は9.7%。


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第9話”さらばシベリア鉄道”
のあらすじはNHKの公式サイトから。
四三と弥彦はシベリア鉄道に乗り、
ストックホルムを目指す!治五郎が不在の中、
共に不安と闘いながら二人の間に絆が生まれていく。






旅路だけでも山あり谷あり…。
明治45年5月16日午後1時20分に発車。
四三と弥彦は、ついに新橋駅を出て
ストックホルムに向け旅立つ。
ウラジオストクやハルビンを経由しての
シベリア鉄道17日間の旅。




最初に着いたのは名古屋、
日本初のオリンピック選手という事で
駅では応援する大勢の人から
サインを求められた?、頂き物をしたり…。


嘉納治五郎が乗っていないことから
不安になる四三。
可児に聞くが私は福井の敦賀で嘉納先生と
バトンタッチするという。
が、5月17日、敦賀に着くも治五郎は来なかった。


治五郎は文部省に渡航の不手際に
文句を言いに行くが申請してくださいと
冷たい対応。



敦賀から船に乗り、ウラジオストックへ。
そこからシベリア鉄道。
5月19日。気温5度。
四三らは二等車両。
うちの風呂より狭いと弥彦。

不手際で治五郎の渡航が遅れる中、
監督の大森兵蔵と安仁子のハネムーンのような態度、
初めて触れる外国人の横柄さに、四三は不安を募らす。
節約しないといけないと食堂車には
いかない。自炊だと阿仁子に味噌汁を
作らせたりするが…マズい。
ドイツ人に誘われ食堂車へ。
ロシア人、フランス人、アメリカ人…
人相をみる四三。

部屋から出る時は身だしなみを整えなければならない。
朝の身支度に弥彦は30分もかかり、洗面所は列ができる。



オリンピック初参加の四三の記録が残っている。









四三が乗った列車はハルビンに。
明治42年10月に伊藤博文が朝鮮人に
撃たれて亡くなったところ。
不穏な空気が漂うハルビン。
四三、弥彦はロシア人の憲兵に止められる。
パスポートを見せろと言われる。






スヤが嫁に行った池辺家。
幾江は毎朝、スヤに自分が顔を洗うための
タライを持って待っているようにと言いつける。
しきたりだという。
そんな朝、四三の兄、実次が
四三のから絵葉書が届いたと持ってくる。






その頃、四三らは世界一の湖・バイカル湖に沿って
進んでいた。
5日目、ヨーロッパ領に入った。
四三と弥彦は互いになまった体をほぐしていた。
どんな気の合う同士でもつまらないことで
ケンカをし始める。





一方、孝蔵は、師匠・円喬から五厘を渡される。
弟子としての初給料。初給料の中には
「朝太」という名が書かれてあった。
うちは知ってるな?
明日から手ぶらで来な。

孝蔵は噺家デビューに歩み出す。
志ん生は今も大事に初給料と円喬が書いた「朝太」を
大事に保存していて弟子・五りんと五りんの彼女に見せる。





大森兵蔵に四三らはなぜ監督を引き受けたのですか?と聞く。
私はスタンフォード大学に経営の勉強に行った。
しかし、虚弱体質だった自分は
日本人とアメリカ人の体格差に驚き、
日本人の体格の向上を目指して
スタンフォード大学も中退し、
国際YMCAトレーニング・スクールで
専門的な体育を学ぶようになったと話す。
そこで画家だった安仁子と知り合ったのだと。
バスケットボールもバレーボールも
私が日本に持ち帰ったのだと話す。
その頃から大森は妙な咳をし、
咳き込みようになっていた。
咳ばかりしていると弥彦が四三に。






その頃、可児と永井に治五郎は
オリンピック選手の監督を大森にしたのかを
話していた。
安仁子が治五郎に頼みに来たのだ。
大森は肺を患っていて次のオリンピックは
迎えられないだろうとストックホルム
オリンピックに監督として行かせてやってくれと。
そういう事なら同行者は婦人・安仁子が良いだろうと
決めたという。
そういういきさつを知らなかった可児と永井は
もっともだと話す。


5月28日、大森の体調は良くならず、
安仁子は自炊をやめた。

弥彦と四三の間がギクシャクなりかけた時、
弥彦は食堂車で美味しいものを食べようと誘う。
予算を気にせず食べよう。
走るのは僕たちだ。
練習の成果を見せてやろうじゃないか?
安仁子に教えて貰った食事マナーを完璧に。
胃袋が喜んでいます。
16歳からずっと負け知らずできた弥彦は
はじめて1万キロ走の時に負けた。
長距離をやめた。
羽田で君の走りを見てとんでもにゃあ~。
とっけむにゃあと言いたかった弥彦。
現在の言葉で超ヤバイ
三島さん、頑張りましょう!
ロシアの首都・センクトペテルブルク。
そこからバルト海を渡り、ストックホルムへ。
明治45年6月2日。
ストックホルム大使館の内田公使が出迎えてくれる。
1か月後の開催を心待ちにしている。
ようこそストックホルムへ。


スタジアムを見に行く四三と弥彦。
広いなあ~。
ここを走るんだね。
マラソンは直ぐ出ていちゃうけどね。
あのポールに日の丸の旗を揚げる決意を新たにする。



嘉納治五郎はまだ日本。




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第10話”真夏の夜の夢”のあらすじ。

ストックホルムに到着した四三だが、
夜になっても明るい白夜に苦しめられる。


大森兵蔵の体調が芳しくないため、四三は弥彦と共に
自分たちだけでトレーニングを開始。
だが、外国人選手の多くが、監督の的確な指導のもと
複数の選手で一緒になって練習を励む姿を見て、
明らかな差と孤独に滅入っていく。


ついに正気を失った弥彦が飛んでもない行為に…。




そのころ、「朝太」になった孝蔵も、
円喬の話術を必死に盗もうと取り組むが、
そのすごさに圧倒される。








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