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2022年のNHK大河ドラマ(第61作)は「鎌倉殿の13人」主演は小栗旬さん。第25話”天が望んだ男”と第26話”悲しむ前に”のあらすじ。 [ドラマ]







大河ドラマ 鎌倉殿の13人

2022年のNHK大河ドラマ(第61作
)は
「鎌倉殿の13人」

主演は小栗旬さん。
脚本は三谷幸喜さん。
大河ドラマの脚本は「新選組!」(2004年)「真田丸」(2016年)と3作目。
語りは長澤まさみさん。

華やかな源平合戦、その後の鎌倉幕府誕生を背景に
権力の座を巡る男たち女たちの駆け引き…
源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男・二代執権・北条義時。
野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。
新都鎌倉を舞台に繰り広げられる、パワーゲーム。
義時は、どんなカードを切っていくのか…
三谷幸喜さんが贈る予測不能エンターテインメント!
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。
だが、流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、
運命の歯車は回り始める。
1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。
北条一門はこの無謀な大博打に乗った。
頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、
遂には平家一門を打ち破る。
幕府を開き将軍となった頼朝。
だがその絶頂の時、彼は謎の死を遂げた。
偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。
”飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。
将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿げ替えられていく。
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵と取る。
源氏の正統が途絶えた時、北条氏は幕府の頂点にいた。
都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。
武家政権の命運を賭け、義時は最後決戦に挑んだ…。

第1話の視聴率は17.3%
第2話は14.7%
第3話は16.2%
第4話は15.4%
第5話は13.4%
第6話は13.7%
第7話は14.4%
第8話は13.7%
第9話は14.0%
第10話は13.6%
第11話は13.5%
第12話は13.1%
第13話は12.9%
第14話は12.1%
第15話は12.9%
第16話は12.9%
第17話は12.5%
第18話は12.7%
第19話は13.2%
第20話は12.8%
第21話は13.2%
第22話は12.9%
第23話は13.3%
第24話は12.0%
第25話は12.2%


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第25話”天が望んだ男”のあらすじ。

朝廷に食い込もうとする頼朝の野望は、
大姫の死で頓挫した。
全てを思いのままにしてきた彼は、今、不安の中にある。


身に降りかかる不幸が続き、不安にさいなまれる源頼朝。
政子が心配する中、過剰に助言を求められる
全成は困惑し、実衣と思案する。
被災ぶりの客と会うのは良くないとか、
赤いものはダメだとか、神仏をおろそかにしてはならないとか…
思いつくものを頼朝に言ってみるのだが…
段々と疑心暗鬼になり…
眠れない夜と過ごしていた。
鈴の音の怯えていた。




一方、源頼家に長男・一幡が誕生。
比企能員は鎌倉殿の継承に心を躍らせ、
比企の台頭を危惧するりくは北条時政をたきつける。
そんな時、頼家に呼び出された義時は、三浦義村から…。
比企の娘・せつとの頼家の間に子供ができたが、
頼家は賀茂重長の娘・つつじ(北香那)と一緒になりたいと頼朝に。
つつじの母は源頼朝の叔父・為義の娘。
頼朝はつつじを正室に、せつを側めとせよと頼家に。
鎌倉殿の継承を目論んでいる比企がどう出てくるか?
頼家も父親譲りの女好き

建久9年(1198)12月27日。
頼朝は相模川で催しされた橋供養からの帰路、体調を崩す。
ドラマでは長年仕えてきた盛長が頼朝の乗って馬を引き
二人だけで鎌倉へ帰る途中、落馬しその場で死ぬ。
病気とも落馬ともいわれるが定かではない。
建久10年(1199)1月11日に出家。
1月13日に死去した。享年52(満51歳没)

頼朝が落馬して死んだ時、政子にも息子の頼家にも
鈴の音がする。
素晴らしい演出だったと思う。
なぜか義時には鈴の音が聞こえなかった。
どういう意味があるのか?



放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証は木下竜馬さん。


金剛と万寿の元服

「吾妻鏡」によると、建久5年(1194年)2月2日に
義時の愛息・金剛の元服の儀が行われた。
烏帽子親となったのは幕府を築き上げ、
御家人たちを統率する征夷大将軍・源頼朝。
頼朝から偏諱(貴人の名の一字)「頼」を賜り、
金剛は以降、太郎頼時と名乗るようになる。
この日は快晴で、夜に行われた元服の儀には、
八田知家、三浦義澄、梶原景時、比企能員、足立遠元ら
有力御家人が多数参列したようです。


一方、頼朝の嫡男である万寿は、元服後は頼家と名乗った。
しかし、頼家がいつ元服の儀を行ったのかについては、
「吾妻鏡」にも記されておらず、残念ながらわかっていません。
このため、諸説が議論されている。




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第26話”悲しむ前に”のあらすじ。

安達盛長(野添義弘)が涙に暮れる中、義時は先を見据え、
大江広元らと頼朝の嫡男・頼家を次の鎌倉殿とする
新体制作りを始める。

しかし、比企能員の力が増すことを嫌うりくが、
夫・北条時政をたきつけてこの流れに対抗。

鎌倉に不穏な空気が流れる中、狩りから戻った頼家は…。


解説。
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
   [監修] 時代考証は木下竜馬さん。


せつとつつじ。

源頼朝の嫡男・頼家がまず妻としたのは、
乳母父でもある武蔵の豪族・比企能員の娘・せつ(若狭局)でした。
「吾妻鏡」建仁3年(1203)8月27日条や
中世に集成された系図集「尊卑文脈」によると
,建久9年(1198)に彼女との間に長男・一幡が生まれており、
二人の婚姻は建久7、8年頃であったと考えられる。


その一方で、頼家には他にも愛した女性がいた。
賀茂重長の娘・つつじ(辻殿)。
賀茂重長は河内源氏に仕えていた武士で、
「吾妻鏡」によると、彼女の母は、剛弓の使い手としても
知られる頼朝の叔父・為朝の娘とされている。
つまり、つつじは源氏の血縁でした。





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