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2022年のNHK大河ドラマ(第61作)は「鎌倉殿の13人」主演は小栗旬さん。第34話”理想の結婚”と第35話”苦い盃”のあらすじ。 [ドラマ]







大河ドラマ 鎌倉殿の13人

2022年のNHK大河ドラマ(第61作
)は
「鎌倉殿の13人」



主演は小栗旬さん。
脚本は三谷幸喜さん。
大河ドラマの脚本は「新選組!」(2004年)「真田丸」(2016年)と3作目。
語りは長澤まさみさん。

華やかな源平合戦、その後の鎌倉幕府誕生を背景に
権力の座を巡る男たち女たちの駆け引き…
源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男・二代執権・北条義時。
野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。
新都鎌倉を舞台に繰り広げられる、パワーゲーム。
義時は、どんなカードを切っていくのか…
三谷幸喜さんが贈る予測不能エンターテインメント!
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。
だが、流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、
運命の歯車は回り始める。
1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。
北条一門はこの無謀な大博打に乗った。
頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、
遂には平家一門を打ち破る。
幕府を開き将軍となった頼朝。
だがその絶頂の時、彼は謎の死を遂げた。
偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。
”飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。
将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿げ替えられていく。
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵と取る。
源氏の正統が途絶えた時、北条氏は幕府の頂点にいた。
都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。
武家政権の命運を賭け、義時は最後決戦に挑んだ…。

第1話の視聴率は17.3%
第2話は14.7%
第3話は16.2%
第4話は15.4%
第5話は13.4%
第6話は13.7%
第7話は14.4%
第8話は13.7%
第9話は14.0%
第10話は13.6%
第11話は13.5%
第12話は13.1%
第13話は12.9%
第14話は12.1%
第15話は12.9%
第16話は12.9%
第17話は12.5%
第18話は12.7%
第19話は13.2%
第20話は12.8%
第21話は13.2%
第22話は12.9%
第23話は13.3%
第24話は12.0%
第25話は12.2%
第26話は12.9%
第27話は11.7%
第28話は12.9%
第29話は11.9%
第30話は11.4%は?
第31話は12.1%
第32話は11.8%
第33話は10.2%
第34話は11.9%


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第34話”理想の結婚”のあらすじ。

謀反の疑惑とともに頼家は世を去った。
実朝が鎌倉殿として政治の表舞台に立つ。
しかし、実権を握っていたのは、執権・北条時政。

源実朝と後鳥羽上皇の従妹・千世(加藤小夏)との婚姻が決まり、
政子の心配をよそに喜ぶりく。

実朝の嫁とりも本人の意思とは関係なく進み、
千世を京まで時政とりくの息子・政範が迎えに行くことに。
その頃、京ではりくの娘婿である平賀朝雅が
後鳥羽上皇の側近である源仲章にそそのかされ、
京に着いた政範を殺害する。
鎌倉には急病のため亡くなったことが知らされて…。




一方、京では後鳥羽上皇が源仲章(生田斗真)、
慈円(山寺宏一)らと鎌倉の行く末について思いを馳せていた。
そんな中、北条時政から代々受け継ぐ惣検校職の
お役目を返上するように求められた畠山重忠が、
疑念を抱いて義時に相談、その義時ものえ(菊地凛子)を…。
のえは鎌倉殿の13人のうちの一人、二階堂行政(野仲イサオ)の孫である。
義時はのえに初めて会う日、八田に影からのえを見定めてほしいと頼む。
八田はのえのことを褒めちぎる。
義時ものえに好感を得てキノコを贈る。
大好きですと手放しで大喜びするのえを見て義時は
嫁に迎えようとしていた。
泰時は比奈と別れたばかりなのにすぐに嫁をとるという父・義時に反発する。

しかし、義時の息子・泰時はのえの本当の正体を見てしまう。





解説
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証は木下竜馬さん。


九条兼実と慈円は、摂政・関白などを歴任した摂関家の長
・藤原忠通を父に、藤原仲光の娘・加賀局を母とする同母兄弟。
兄・九条兼実は、五摂家のひとつ九条家を興したことでも知られ、
後白河上皇崩御後は朝廷第一の実力者となり、
源頼朝を征夷大将軍に推挙した。
公家や作法に関して高い見識を有するほか、
和歌への関心も深く、藤原俊成・定家父子らの庇護者で
あったともいわれている。
また、兼実が40年間<長寛2年(1164)から建仁3年(1203)>に
わたり書き綴った日記「玉葉」は、当時の状況を知る
うえで貴重な史料となっている。


一方、弟・慈円は、比叡山延暦寺の長である
天台座主を4度務めた宗教界の権威である。
兄・兼実と同様に和歌にも秀で、
「おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖」
という歌が「小倉百人一首」のひとつとして選ばれている。
また、慈円が著したともいわれる歴史書「愚管抄」も「玉葉」
と同じく、当時の状況を知るうえで貴重な史料となっている。

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第35話”苦い盃”のあらすじ。


源実朝の妻になる後鳥羽上皇のいとこ・千世(加藤小夏)が鎌倉に到着。
政子らが出迎えるが、愛息・北条政範(中川翼)の凱旋を
心待ちにしていたりくは失意に沈んでいた。
そんな中、娘婿・平賀朝雅(山中崇)が畠山重忠の嫡男・重保(杉田雷麟)へ
の疑惑をりくに告げる。
一方、朝雅の振る舞いについて重保から相談された義時は、
父・時政に…。


解説
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証は木下竜馬さん。

源実朝の御台所。
治天の君である後鳥羽上皇から「実朝」という名を賜り、
「従五位下」「征夷大将軍」に叙任した源実朝。
御台所として迎えたのは、後鳥羽上皇の母・七条院殖子
の弟である坊門信清の娘(千世)でした。
つまり、千世は後鳥羽上皇のいとこにあたる人物。

藤原定家の日記「明月記」元久元年(1204)12月10日条によると、
後鳥羽上皇は延勝寺の増円法眼に命じて法勝寺の
西大路鳥居の西に桟敷を作らせ、華麗に装った千世一行が
鎌倉へ向けて出立する様子を見学したいという。
自身が名づけを行った実朝、そして、
鎌倉のことを気にかけていたのでしょう。
実朝と御台所となった千世は、実朝だけではなく、
幕府にとっても特別な存在でした。

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