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NHK大河ドラマ「青天を衝け」吉沢亮さん主演。第41話最終話”青春はつづく”のあらすじ。 [ドラマ]






大河ドラマ 2021




2021年のNHKの大河ドラマは
「青天を衝け」
主演は吉沢亮さん。
仁なる者に敵は無し。
経済の父となった渋沢栄一さんを描いたもの。
脚本は大森美香さん。
連続テレビ小説では「風のハルカ」(2005年後期)「あさが来た」(2015年後期)


官尊民卑の世は、承服できん!
百姓からの脱却を決意。

天保11年(1840)、武蔵国・血洗島村。
藍玉づくりと養蚕を営む百姓の家に、栄一は生まれた。
おしゃべりで物おじしないやんちゃ坊主は、
父・市郎右衛門(小林薫)の背中に学び、
商売のおもしろさに目覚めていく。
ある日、事件が起きた。
御用金を取り立てる代官には向かったことで、
理不尽に罵倒されたのだ。
栄一は官尊民卑がはびこる身分制度に怒りを覚え、決意する。
「虐げられる百姓のままでは終われない。武士になる!」





第1話の視聴率は20.0%でした。
第2話は16.9%
第3話は16.7%
第4話は15.5%
第5話は16.2%
第6話は15.5%
第7話は14.7%
第8話は15.3%
第9話は14.5%
第10話は13.9%
第11話は14.1%
第12話は13.4%
第13話は13.9%
第14話は15.5%
第15話は15.3%
第16話は14.6%
第17話は14.2%
第18話は14.2%
第19話は13.6%
第20話は14.6%
第21話は16.5%
第22話は14.7%
第23話は14.1%
第24話は14.3%
第25話は12.0%
第26話は12.7%
第27話は12.7%
第28話は13.8%
第29話は13.1%
第30話は13.0%
第31話は14.0%
第32話は12.9%
第33話は11.9%
第34話は14.4%
第35話は12.9%
第36話は12.2%
第37話は12.0%
第38話は12.6%
第39話は11.9%
第40話は12.1%
第41話は11.2%



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第41話最終話”青春はつづく”
のあらすじはNHK公式サイトから。
15分拡大版。


栄一、魂のラストメッセージ!


最終話のはじまりは徳川家康最後の登場でした。
今日で終わりとは寂しい限りだとはじまりました。
もっともっとこの目で見ていたい。
260年続いた徳川の世しかり
何事にも終わりはある。
渋沢栄一の物語を閉じるにあたって
ぜひ皆さんに感じていただきたいことがあります。
真心を込めて切り開いた彼らの道の先を歩んでいるのは
あなた方だということを。是非に。



北大路欣也さんの重厚な登場が
ずっと「青天を衝け」を引っ張ってきたように思えました。
素晴らしかったです。


大正8年ドイツは降伏で
第一次世界大戦が終結。
日本は戦後処理のために開かれたパリ講和会議で
人種差別の撤廃を欧米各国に求める一方、
中国の山東半島におけるドイツの権益を要求。
日本の侵略は世界平和の脅威。
日本のアジア支配の野望はアメリカとの戦争を意味するのか?
と新聞に。
日本に対する各国の警戒が深まり、中国や朝鮮半島では
反日運動が激しさを増していた。
栄一は世界各国から日本が嫌われていることを憂いていた。
日本も大いに世界人類の幸せのために
力を尽くすべきときなんだと敬三に話す。

栄一は喜寿を機に実業界から完全に引退した。
長年手がけてきた慶喜公の伝記本も完成した。
毎朝6時には起床し入浴を済ませて朝食。
7時ごろから客は続々と詰めかけ…

医学博士・北里柴三郎は感染予防にはマスクが一番と
栄一に勧めにやって来た。
コロナ化にあり、世界各国でマスクは手放せないものとなっている。

公衆衛生や都市開発、社会事業と毎日平均15時間は
熱心に働いている。
東京養護院には毎月13日に必ず院長として
栄一は兼子とともに顔を出していた。




老齢になっても走り続ける栄一は、
日米関係改善のため再び渡米。
後継者の敬三は、そんな祖父の現状に
満足せず前に進む姿を見つめていた…。




老年になっても走り続ける栄一は、ワシントンの軍縮会議に合わせて再び渡米し、
移民問題など悪化した日米関係の改善に尽力する。


一方、栄一の後を継ぐ決心をした孫の恵三(笠松将)は、
銀行員となり、経験を積むため渡英する。
そんな折、関東大震災が発生。
周囲の心配をはねのけ教授の最前線に立った栄一は、
内外の実業家に寄付を呼びかけ資金を集める。
また中国の水害に対しても、自宅からラジオを通じて
募金への協力を呼びかけるが、満州事変が勃発。
救援物資は受け取りを拒否されてしまう。
それでも栄一はあきらめず、病床から自らの思いを伝えつづける。








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カリフォルニアでは日本人移民が排斥される運動が。
そのために民のレベルで改善しようと活動を続けていた栄一。
(日米有志協議会)
アメリカの実業たちを招いてもてなし、
お互いを知ろうと努めた。

大正10年1921年、栄一のあとを継ぐことになった敬三は
仙台二高から東京帝国大学経済学部へいき卒業。
生物学者の夢を捨てきれないと思っていた半面、
祖父のことをもっと知りたいと思うようになっていた。
卒業後は横浜正金銀行で働きたいと栄一に。
あの銀行なら海外の事情も良く学べますし…。
第一銀行に口をきくと言ったろうという栄一。
生意気ではありますがまずは外で学んでみたいのです。
どうしても敬三に跡を継いでほしくてあの子の人生を
変えてしまったと兼子に話す栄一。
栄一は敬三に自分の好きなようにしろといってくれる。
大隈重信の見舞いに行く栄一。
早稲田という品種のメロンを作っていた。
早稲田大学を創設した大隈重信。
なるほど。
政治家にならんかったのかと大隈は栄一に話す。
決してアメリカと戦争の道に進んではならんのであ~る。

この言葉は受け継がれていたなら
第二次世界大戦は起こらなかったのであ~る。



ワシントン会議に合わせて4度目の渡米をする栄一。
軍備縮小に賛成だという栄一。
移民問題も議題に加えてもらうために渡米した栄一だったが
各国とも軍縮をするという話で終わった。
排日移民問題は日本のためにぜひ今すぐ解決すべき事案だと
駐日大使‣幣原喜重郎(近藤芳正)に話すが
会議が必ず紛糾すると反対される。
国と国と関係が結局人と人の関わりだからだ。
外交問題だけではない。
人間の根っこの心の尊厳の問題なんだと強く幣原に。
渋沢さんはやはりすごい。長生きしてください、
日本にはまだあなたが必要だ。
そんなお世辞を聞きに来たのではない。私は…。
原首相が暗殺されました。
こんな時に、首相が暗殺とは…。
旅の途中で大隈侯83歳の死を知った栄一。
翌年、大正11年1922年。
敬三は岩崎弥太郎の孫娘・木内登喜子と結婚。
そして、イギリスに渡り横浜正金銀行のロンドン支店に
勤務することになった。
父に洋行の挨拶に行ったと栄一に話す敬三。
父に家に戻ってきて欲しいと敬三は栄一に。
親子の情は永遠に消えることはない特別なものだと話す。
お願いいたします、父を許し今一度、再会の機会を
与えてはいただけませんでしょうか?
お前は優しい子だと栄一。


大正12年1923年、9月1日。
関東大地震。
兜町の事務所が全焼しましたと第一国立銀行の頭取の佐々木勇之助が
栄一に報告に来る。全てが燃えています。
明治の時代に苦労して作り上げたものたちが全て…。
そこに篤二が栄一らを心配してやってくる。
お前も無事だったか。そうか、そうか。
篤二を栄一は抱きしめて良かった…良かった。
父さま。篤二。

このシーンは涙が知らず知らずに出ました。


栄一は避難者の救護所を開く。
栄一のことを心配する武之助らに
私たちのような老人は僅かなりとも
働いてこそ生きる申し訳が立つんだと栄一。
それを田舎に逃げよとはなんと卑怯千万。
それしきを恐れて何のために生き残ったんだ!
分かったか?
はい、
声が小さい。
ハイ。
返事が遅い。
ハイ。

父上の言うようにさせてやろうと弟らに言う篤二。


次々とアメリカから見舞金・寄付金が届く。
ハワード・ハインツ氏からは沢山の缶詰。
中華民国政府からも多くの寄付金や品物が届く。
友とは有り難いものだと栄一。

しかし、アメリカ会議で日本人に対する差別待遇を
アメリカの国策とする議案が提出され、翌年、排日移民法と
よばれる新移民法が正式に上下両院を通過した。
アメリカは日本に劣等国の烙印を押した。
これは戦争を仕掛けるのと同じことじゃないのか!
全てを犠牲にして戦おう!
米国討つべし!
祖父の10年来の努力は無駄になった。



大正14年1925年。
敬三と登喜子の間に男児誕生。
名前は雅英と栄一から送られたきた。

ドラマが終わった後、ご本人雅英さんが出演されました。
日本に戻った敬三は祖父が慶喜のことを
知りたかったように祖父のことを知りたいと思うようになった話す。
そりゃ、大変だ。解剖だけはしないでくれよ。
生物学者になろうとした敬三へのジョークだった。



そして時代が昭和になった。
昭和6年。
ひ孫たちに土方は友なんだと栄一は話をする。
ここで土方が回想シーンで出るとは?
最終回で町田啓太さん登場するとは
思ってなかったので感激。

中国はその夏、異常な大雨で大水害となった。
東京商工会議所、日華実業協会、赤十字社は手を組んで
中華民国水災同情会を設立。
栄一は91歳にしてその会長にも就任した。
一般国民に周知するためにラジオを通じて呼びかけていただきたいと
中華民国水災同情会副委員長の児玉が栄一に頼みに来る。
こんな老人がまだ役に立つと言ってくれているんだ。
励まぬわけにはいかんだろ。
これは中国に日本が友人だと示す好機。
栄一の自宅がラジオ局に。
自宅から国民に声を掛ける栄一。
大震災の時、反日運動のさなかにもかかわらず、
多くの義援金を送ってくださった。
あの時、どれほど励まされたか思い出してください。
今度は日本が立ち上げる番だ。
その大事な時に常日頃から外国と仲良くと勧めている
その本人がのうのうと寝ているわけにはいかない。
そう思いおいぼれの身ながらここにおるということを
皆さんに知っていただきたい。
大丈夫、大丈夫、難しいことではありません。
手を取り合いましょう。
困っている人がいれば助け合いましょう。
人は人を思いやる心を誰かが苦しめば胸が痛み、
誰かが救われればあったかくなる心を
当たり前に持っている。
助け合うんだ!仲良くすんべぇ。
そうでねえととっさまやかっさまに叱られる。
みんなで手を取り合いましょう。
みいんなが嬉しいのが一番なんだで。
どうか…切に切にお願い申し上げます。




募金は驚くほど集まった。
しかし、満州にいた関東軍が奉天郊外で鉄道を爆破。
満州事変を引き起こした。
同情会の救援物資は中国の厳重な抗議の意思表明のため
受け取ってもらえなかった。


こども、孫、ひ孫らに囲まれて
昭和6年11月11日、祖父渋沢栄一は永遠の眠りについた。


渋沢栄一の追悼会に敬三は登壇。
栄一の話をする。
私にとっての祖父はよく食べ、よくしゃべり
本当によくしゃべるんです。
時には自分勝手で時にはボロボロと涙を流し
そう、偉人というよりは、むしろ…
郷里血洗島の青空の下で励む一人の青年、
そのもののような気がしていたからです。
全力を尽くしてもその成果は棒ほど願って針ほどかなうことばかりで
偉人という響きは…どうも祖父には似合いません。
皆さんには、祖父の失敗したこと、叶わなかったことも全て含んで
お疲れさんとよく励んだとそんな風に渋沢を思い出していただきたい。
実は祖父から皆さんにあてた伝言を預かってまいりました。
「長い間お世話になりました。私は100歳までも生きて
働きたいと思っておりましたが
今度という今度はもう立ち上げれそうにありません。
これは病気が悪いのであって、私が悪いのではありません。
死んだ後も私は、皆様の事業や健康をお守りするつもりで
おりますのでどうか今後とも他人行儀にはしてくださらないよう
お願い申します。渋沢栄一」


栄一の生まれ故郷血洗島へ行く敬三。
声を掛ける栄一。
日の本はどうなってる?
それが恥ずかしくてとても言えません。
何言ってんだい!
まだまだ励むで。

素晴らしい終わり方でした。





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