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NHK連続テレビ小説106作目朝ドラ「ちむどんどん」第73話と第74話のあらすじ。 [ドラマ]






ちむどんどん 朝ドラ





NHK連続テレビ小説106作目朝ドラ「ちむどんどん」
ヒロインは黒島結菜さん。



原作は羽原大介さん。
「とんび」(2012年)朝ドラ「マッサン」(2014年)などを執筆。
主題歌は沖縄出身の三浦大和さん、”燦燦(さんさん)」
語りは沖縄出身のジョン・カビラさん。


大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる、
ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと支えあう兄妹たち。
”朝ドラ”第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。


2022年は、沖縄本土復帰50年。
復帰以来、多くの沖縄の若者たちが、本土へと仕事や夢を追いかけて渡っていった。
家族と別れ、食べ慣れた郷土の料理を思い…。
コロナ禍に見舞われ、かつてなく”孤独・孤立”が
問われる今の時代にこそ遠く離れ、会えなくても、
心はつながって支え合う美しい家族と、
ふるさとの物語を全国にお届けする。
復帰前の沖縄「やんばる地域」で生まれ育ち、
復帰とともに東京で働き始めるヒロイン。
遠く離れても家族の絆に励まされながら、
ふるさとの「食」に自分らしい生き方を見いだし、
やがて沖縄料理の店を開くことに。

ヒロインは、四人兄妹の次女で、兄、姉、妹がいる。
四人はそれぞれに異なる道を歩み、気持ちが離れるときも訪れる。
それでもふるさと・沖縄の味が、思い出が、四人の心をつなぐ。
困難や挫折に見舞われ、誰かが心折れそうなときには、
互いに身を削り、支え合っていく。
時代を超えどんな逆境の中でも、世界で一番美しいもの…それは家族。
傷つきながら、励まし合いながら大人への階段をのぼっていく
四兄妹のドラマはきっと、今を生きるすべての家族の物語。

長兄・比嘉賢秀(竜星涼)
長女・比嘉良子(川口春奈)
次女・比嘉暢子(黒島結菜)
三女・比嘉歌子(上白石萌歌)

第15週”ウークイの夜”に入ります。

ちむどんどんポイント。
①久々に比嘉家に集まった四兄妹。
②優子と賢三の忘れられない過去。
③幸せになることをあきらめないで。

第73話のあらすじ。


優子は、久しぶりに揃った暢子、賢秀、良子、歌子に、
自身の過去を話し始める。
これまで四人には秘められていた
亡き父と優子のなれそめなどだ。
1944年(昭和19年)那覇。
与那城食堂で賢三は働いていた。
上原さんが座長をやっていた芸人一座の一番下っ端だった賢三が
客としてやってきたのがきっかけ。
一座が苦しくなって本土に出稼ぎに行った賢三だがまた那覇に帰ってきた。
民謡歌手になれなくて住み込みでうちの食堂の店員になった。
戦争が始まって招集されて中国の方に出征。
お父ちゃんは戦地のことをほとんど話さなかったと優子。
ただ一度だけ、すごく後悔してることがあると言ってた。
自分が正しいと思うことを守れなかったことをすごく悔やんでいたと思う。
帰ってきたばかりの頃は夜寝ている時、ごめんなさい、ごめんなさいと
うなされていたからね。
昭和19年10月10日の大空襲で那覇は焼け野原。
家も食堂も全部燃えて祖父母も亡くなって。
そして、米軍が上陸してきた。
山の中をさまよっているうちに両親と姉・時恵(大城ゆう紀)とはぐれて
弟・秀夫(阿久津慶人)とうち(優希美青)の二人きりになってしまった。
うちと弟はアメリカ兵につかまって捕虜収容所で終戦を迎えた。
戦後、賢三(桜田通)はすぐに沖縄には帰ってこれなかった。
その頃、沖縄出身の復員兵はすぐに沖縄に帰ることを許されていなかったから。
沖縄は日本じゃなくなっていたからね。
あちこち収容所を転々とさせられていつもひもじくて。
やがて弟も死んでしまった。
うちが独りぼっちになってしまってもう生きる気力もなくなった頃、
1946年(昭和21年)沖縄。
お父ちゃんは自分の親きょうだいが収容所にいるんじゃないかと
捜しに来てた。
結局みんな死んでしまっていたんだけど。
そこで優子か?と声をかけてくれたのがお父ちゃんだった。
生きてたのか、生きててくれたのか。
運命の再会だと思った。



その頃、二ツ橋に房子は自分の生い立ちを話していた。
房子の両親はやんばる出身。
幼い姉を親戚に預けて鶴見に仕事を探しに来た。
私は鶴見で生まれた。
だから私は一度も姉には会ったことがない。
その姉の息子が賢三。暢子さんの父親。
房子の甥。
賢三は戦前、出稼ぎで鶴見に来ていた。
私は親戚というものに初めて出会った。
嬉しかった。
明るい若者で三線はうまいし県人会にもすぐになじんだ。
1941年(昭和16年)
賢三に平良三郎(田中偉登)は三線を習っていた。
1945年(昭和20年)冬、鶴見。
妹と空襲で生き別れてきっとまた一緒に暮らせると信じて
ずっと捜し続けて。
妹を捜しながら焼け跡で闇市で商売を始めた。
そんな時、明るかった賢三がまるで別人。笑わない男になっていた。
私(桜井ユキ)の前に現れた。
沖縄に帰りたくても帰れなかった賢三は、私の商売を手伝ってくれた。
人が良いし料理もできる頼れる甥っ子だった。
独りぼっちだった私はとっても嬉しかった。
賢三の名入りの包丁をプレゼントした。
2人でもっともっと働いて稼ぐよ。
これからもずっと一緒に商売をやっていこうねって約束した。
翌年、賢三は沖縄に帰れることになって鶴見を去った。
家族の消息を確かめたらすぐまた戻りますと言って
でもそれっきり…賢三は鶴見に戻ることはなかった。
1年ほどして手紙が届いた。
やんばるで結婚した、子どもをやんばるで育てたい。
約束を破って申し訳ない。
私は裏切られたと思い込んでしまった。


あまゆでは三郎が田良島と昔の話をしていた。
両親は沖縄出身だが三郎は鶴見生まれで沖縄のことを何も知らなくて
大人になるとそれが悔しくて賢三に三線を教えて貰った。
直に那覇に戻ってしまったんですけどね。
民謡歌手になりたいと。
田良島の兄は19年に入営して沖縄で戦死したと。
どうしてもあの”鉄の暴風”のことを自分で記事にして伝えたかった。
三郎は戦後、シベリアに連れて行かれたと。
何年も残された家族は生きてんのか死んでんのか分からずね。
苦労かけちまいましたよ。
寒さと飢えの中、シベリアで死んだ奴はまだ骨も日本に帰れないまま。
良い奴ほど早く死にます。






同じ頃、東京のフォンターナでは房子が二ツ橋に、
鶴見では三郎が田良島に、それぞれにずっと
秘めてきた過去の思いを語った第73話でした。

終戦記念日が近づいてきた。
戦争を知らない人たちが多くなってきた今、
知らない人たちは何を思うのか?




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第74話のあらすじ。

優子が初めて語る賢三の馴れ初め。
優子が経験した戦争の時代の過酷な体験などの思い出。


賢秀、良子、暢子、歌子たち四兄妹は、
それまで聞いたことがなかった優子の過去を聞かされた。
そして、四兄妹たちは、優子が今日まで歩んできた
苦難に満ちた道のりに思いを馳せるのでした。




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