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2022年のNHK大河ドラマ(第61作)は「鎌倉殿の13人」主演は小栗旬さん。第29話”ままならぬ玉”と第30話”全成の確率”のあらすじ。 [ドラマ]







大河ドラマ 鎌倉殿の13人

2022年のNHK大河ドラマ(第61作
)は
「鎌倉殿の13人」
第27話は7月17日放送です。


主演は小栗旬さん。
脚本は三谷幸喜さん。
大河ドラマの脚本は「新選組!」(2004年)「真田丸」(2016年)と3作目。
語りは長澤まさみさん。

華やかな源平合戦、その後の鎌倉幕府誕生を背景に
権力の座を巡る男たち女たちの駆け引き…
源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男・二代執権・北条義時。
野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。
新都鎌倉を舞台に繰り広げられる、パワーゲーム。
義時は、どんなカードを切っていくのか…
三谷幸喜さんが贈る予測不能エンターテインメント!
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。
だが、流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、
運命の歯車は回り始める。
1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。
北条一門はこの無謀な大博打に乗った。
頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、
遂には平家一門を打ち破る。
幕府を開き将軍となった頼朝。
だがその絶頂の時、彼は謎の死を遂げた。
偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。
”飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。
将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿げ替えられていく。
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵と取る。
源氏の正統が途絶えた時、北条氏は幕府の頂点にいた。
都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。
武家政権の命運を賭け、義時は最後決戦に挑んだ…。

第1話の視聴率は17.3%
第2話は14.7%
第3話は16.2%
第4話は15.4%
第5話は13.4%
第6話は13.7%
第7話は14.4%
第8話は13.7%
第9話は14.0%
第10話は13.6%
第11話は13.5%
第12話は13.1%
第13話は12.9%
第14話は12.1%
第15話は12.9%
第16話は12.9%
第17話は12.5%
第18話は12.7%
第19話は13.2%
第20話は12.8%
第21話は13.2%
第22話は12.9%
第23話は13.3%
第24話は12.0%
第25話は12.2%
第26話は12.9%
第27話は11.7%
第28話は12.9%
第29話は11.9%




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第29話”ままならぬ玉”のあらすじ。

鎌倉を支えてきた宿老の一角が崩れた。
バランスを失い、大きく振れる権力の振り子。
それを止める者は、誰だ。



御家人たちのバランスが崩れ始めた鎌倉。
義時は北条と比企との争いの激化を懸念し、
頼時と比奈を前に決意を新たにする。

二代目・トウ(山本千尋)
を連れてきた善児に梶原景時から頼まれたと小袋を渡す義時。
小袋を開け、中は見ましたかと義時に聞く善児。
梶原様もお人が悪い。
その中には義時の兄・宗時の形見だった。



そんな中、つつじが源頼家の二男・善哉を出産。
三浦義村が乳母夫となるが、比企能員は長男・一幡こそが
嫡男であるとけん制。
一方、北条時政はりくから政子の次男・千幡を頼家の跡継ぎにと…。


一人蹴鞠の練習をする頼家。
そこに義時。
父上は蹴鞠は得意だったかと聞く頼家にお上手でしたと答える義時。
父上は何も教えてくれなかった。
義時も蹴鞠をしてみるがうまくいかない。
父が心から笑っている姿を見たことがない。
頼朝様は人を信じることをなさらなかった。
お父上を超えたいのなら、人を信じるところから
始められたらいいのではないでしょうか?
一幡を跡取りにすると義時に。
比企の顔色を伺っているのではない、絶対に。
せつと一緒なら鎌倉をまとめていけるような気がする。
私は弱い。私を信じてくれる者を信じようと思う。
そこに後白河法皇の側近だった平知康(矢柴俊博)が。
京へ帰るようにと頼家に言われ動揺し井戸に落ちかける。
頼家と義時が助けようとするがなかなか、その上、頼家が落ちそうになり…
二人の話を聞いていた全成が飛び出してきて頼家を助ける。



義時の父・時政と義母のりくに頼まれ
頼家に対して呪詛をしていた全成。
叔父上がいてくれて命拾いをしましたと頼家に感謝され
父上に似ていると言われ、父上と話しているようですと。
根っからの人の良さで頼まれたら断れない全成。
呪詛をすることをやめる。
何も効き目がなくて良かったと胸をなでおろす全成。
呪詛をする時の木の人形を始末する。
しかし、一体だけ…



解説。
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証・木下竜馬さん。



源頼朝から重用された梶原景時の失墜。
源頼朝から重用され、鎌倉殿を継いだ頼家を補佐する
13人のひとりにも選ばれた梶原景時だが、
頼朝の死から1年余りで立場が一変した。
「吾妻鏡」によると、頼朝の乳母・寒河尼の息子である
結城朝光の一言から、景時の歯車がくるい始める。
正治元年(1199)10月25日、亡き頼朝をしのび、
「忠臣は二君に仕えず」と嘆いた朝光。
すると2日後の10月27日、その話を聞き及んだ景時が
頼家に対する背信と断じ、朝光を糾弾した。


しかし、この景時の厳格な姿勢は、これまで
鬱憤をためてきた御家人たちの強い反感を買った。
三浦義村の呼びかけによって景時に不満を持つ
千葉常胤ら66名の御家人による連署の遡上が提出され、
逆に景時が糾弾されることとなった。


弁明することができなかった景時は、
所領である相模国一宮へ下向。
12月18日に鎌倉追放となると、翌正治2年(1200)1月20日に、
景時は一族と共に京を目指した。



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第30話”全成の確率”のあらすじ。

全成、絶体絶命。
源頼家に対して呪詛を行った疑いにより、
詮議を受ける阿野全成。
比企能員はその背後に北条家の暗躍があると確信し、
対決姿勢をさらに強める。


そのころ、北条家では、夫・全成を巻き込まれて
激怒した美衣が父・時政を追及。
名乗り出ようとする時政だが、りくに止められる。
義時は北条家を守るために一案を講じ、
畠山重忠の助力を得て…。


解説
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証は木下竜馬さん。



北条と比企の争い。
源頼朝の死後、御家人たちの勢力図は目まぐるしく変化した。
その中で、対立を深めて行ったのが北条時政と比企能員。
北条時政は政子の後押しも受けて、正治2年(1200)1月1日に
御家人が鎌倉殿を饗応する儀式である「垸飯」を務めた。
これは、御家人の序列を表すもの。
また、「吾妻鏡」正治2年(1200)4月9日条において、
4月1日に時政が遠江守に補任され、
従五位下に叙されたと記されている。
頼朝の代では源氏一門に限られていた国守に任官し、
一般御家人の「侍」よりも格上となる「諸大夫」となった。
一方、頼家の乳母夫である比企能員は、建仁2年(1202)7月22日に
頼家が従二位に昇叙して征夷大将軍に補任されると、
その権威・権力を背景に勢力を伸ばしていく。
また、娘の若狭局(せつ)が産んだ一幡を嫡子にするように頼家を導いた。
北条と比企の争いは、このあとますます加速することになる。




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