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2022年のNHK大河ドラマ(第61作)は「鎌倉殿の13人」主演は小栗旬さん。第46話”将軍になった女”と第47話”ある朝敵、ある演説”のあらすじ。 [ドラマ]







大河ドラマ 鎌倉殿の13人



2022年のNHK大河ドラマ(第61作)は
「鎌倉殿の13人」


主演は小栗旬さん。
脚本は三谷幸喜さん。
大河ドラマの脚本は「新選組!」(2004年)「真田丸」(2016年)と3作目。
語りは長澤まさみさん。

華やかな源平合戦、その後の鎌倉幕府誕生を背景に
権力の座を巡る男たち女たちの駆け引き…
源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男・二代執権・北条義時。
野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。
新都鎌倉を舞台に繰り広げられる、パワーゲーム。
義時は、どんなカードを切っていくのか…
三谷幸喜さんが贈る予測不能エンターテインメント!
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。
だが、流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、
運命の歯車は回り始める。
1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。
北条一門はこの無謀な大博打に乗った。
頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、
遂には平家一門を打ち破る。
幕府を開き将軍となった頼朝。
だがその絶頂の時、彼は謎の死を遂げた。
偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。
”飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。
将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿げ替えられていく。
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵と取る。
源氏の正統が途絶えた時、北条氏は幕府の頂点にいた。
都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。
武家政権の命運を賭け、義時は最後決戦に挑んだ…。

第1話の視聴率は17.3%
第2話は14.7%
第3話は16.2%
第4話は15.4%
第5話は13.4%
第6話は13.7%
第7話は14.4%
第8話は13.7%
第9話は14.0%
第10話は13.6%
第11話は13.5%
第12話は13.1%
第13話は12.9%
第14話は12.1%
第15話は12.9%
第16話は12.9%
第17話は12.5%
第18話は12.7%
第19話は13.2%
第20話は12.8%
第21話は13.2%
第22話は12.9%
第23話は13.3%
第24話は12.0%
第25話は12.2%
第26話は12.9%
第27話は11.7%
第28話は12.9%
第29話は11.9%
第30話は11.4%
第31話は12.1%
第32話は11.8%
第33話は10.2%
第34話は11.9%
第35話は11.2%
第36話は12.4%
第37話は12.6%
第38話は11.7%
第39話は12.0%
第40話は11.3%
第41話は11.3%
第42話は11.3%
第43話は11.5%
第44話は11.0%
第45話は6.2%
サッカーワールドカップ大会の一次リーグE組
日本対コスタリア戦の放送があった。
第46話は11.3%




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第46話”将軍になった女”のあらすじ。


実朝の突然の死。
鎌倉殿の不在が続いている。
政権崩壊の危機が迫る中、
義時と後鳥羽上皇の根比べは
緊張を増していく。



新たな鎌倉殿を迎えようと朝廷に伺いを立てる北条義時、大江広元たち。
実衣が野心を燃やし、三浦義村が暗躍する中、京では
鎌倉への不信感をさらに高めた後鳥羽上皇が、
藤原兼子、慈円と共に今後を見据え、鎌倉への圧力を強めていく。
実衣の息子・阿野時元を鎌倉殿にしようと策略。
しかし息子宛てに書いた手紙が出てきて…
義時は実衣の首をはねろと命じるが…。
政子は”尼将軍”になり実衣を救う。



一方北条家では、思い悩む泰時をよそに、
のえが愛息・政村(新原泰佑)を…。


慈円が単身、鎌倉へやってくる。
三寅を鎌倉へ下向させると政子と義時に話す。
三寅の曽祖父の弟に当たる慈円。
2歳の三寅は7月19日鎌倉に下向する。


解説
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証は木下竜馬さん。


幕府の危機
鎌倉殿の不在。

建保7年(1219)1月27日の三代鎌倉殿・源実朝の横死は、
日本中に多大な衝撃を与えた。
「吾妻鏡」によると、翌1月28日に安達景盛をはじめ
御家人百余名が悲嘆のあまり次々と出家している。
実朝がいかに御家人たちから慕われ、大きな存在であったのかがうかがえる。

政子、北条義時、大江広元ら幕府首脳陣にとっても、
鎌倉殿の不在は危機でした。
実朝は後鳥羽上皇から支援を受けて、父・頼朝を
はるかに超える右大臣という武家では極めて
異例の高い地位に昇った存在であり、実朝を失った今、
幕府の求心力の低下は避けられない。
公卿が鎌倉殿の座を狙って謀反を起こし、
幕府内が混乱に陥る危険性があった。
新たな鎌倉殿を迎え、速やかに新体制を確立する必要があった鎌倉幕府。
しかし、不信感を募らせた後鳥羽上皇との駆け引きは
一層激しさを増し、粘り強く朝廷と交渉することを余儀なくされる。



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第47話”ある朝敵、ある演説”のあらすじ。

幕府の後継者争いが発端となり、乱れる京。
朝廷の象徴である内裏が焼け落ちると、後鳥羽上皇は
再建費用を日本中の武士から取り立てることを決める。
しかし、北条義時は政子と大江広元の支持を得て、
要求を先送りにすることを決断。
泰時をはじめ御家人たちが後鳥羽上皇との関係悪化を
心配する中、三浦義村は京で大番役を務める
弟・胤義(岸田タツヤ)に…。


解説。
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する”前説”
監修:時代考証は木下竜馬さん。


前代未聞
大内裏の消失。
承久元年(1219)6月25日、摂関家・九条兼実の
ひ孫・三寅が迎えの御家人たちと共に京・六波羅を出発し、
3週間余りをかけて7月19日に鎌倉に下着した。
これにより、じき将軍予定者の三寅のもと、
政子が「尼将軍」として幕府を代表し、
「執権」である北条義時が政務全体を取り仕切る新体制が整う。


しかしこの間、後鳥羽上皇の住まう京では、大事件が起きていた。
源頼政の孫・頼茂が、三寅の鎌倉下向を不満に思い謀反を起こしたのです。
7月13日、追討の院宣を下された頼茂は、代々守護を
務めてきた大内裏に籠もって追討軍と戦い、火を放って自害。
この際仁寿殿だけではなく、所蔵されていた累代の宝物などが消失する。
兵火によって大内裏の殿舎が焼け落ちるのは前代未聞であり、
後鳥羽上皇はショックのあまり、1か月以上も床に伏してしまった。
後鳥羽上皇は「三種の神器」なくして践祚し、
壇ノ浦の戦いで宝剣を失ったことにコンプレックスを抱えており、
治天の君としての正統性を示し続けてきた。
幕府の内紛によって何ら関係のない大内裏が焼け落ちたことに、
さぞや強い憤りを感じたことでしょう。
その思いが、幕府を取り仕切る北条義時との確執を、
さらに大きなものにしていく。





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